社会の歯車

社会の歯車になりたがっている人が多すぎる。こんだけ多くの人が洗脳されているのを見ると、「学校ってすげえな」と改めてしみじみ思う。

 

常識というものは、彼らにとって金科玉条だ。常識のない奴は人間じゃないらしい。しかし、常識は何度も何度も崩れてきた。間違ってきた。なら、常識は絶対ではない。歴史の教科書を見るまでもない。ここ10年で何度も変わってきた。

 

だからこそ、「常識」という物をしっかり可視化させるべきだろう。何が常識、ルールとして存在しているの、文章にするべきだ。常識はあくまで常識。脅迫の言葉でもなければ、人を縛り上げる鎖でもない。

 

常識を可視化することで、「この常識って間違っているかも?」と、常識を議論のまな板に上げることができる。見えなければ、話し合うことすらできない。身体に勝手に浸透してしまうのだ。

 

常識を疑えとよく言われるが、そんなことは疲れる。常識を普通に、フラットに考える機会を作ればいいだけだ。そうすれば、誰にも触ることのできない金科玉条ではなくなる。必要がないなら、消すこともできる「ただの思い込み」であることが分かるはずだ。

無料ビジネス

うーん、何だろう。ちょっと不満だな、と思う。最近、無料ビジネスが増え過ぎて食傷気味な気がします。

 

無料ビジネスを行うことで、むしろ真の実力が分かるとか言ってたお笑い芸人もいましたけど、個人的には「もう無料ビジネスはいいよ」って思っちゃいます。

 

最初は無料だよ、って言って食いつかせて、実際にたくさんのお金を使わせた後で、後悔したユーザーには見向きもしない。課金ゲームの末路なんて、傍から見てる分には面白いかもしれないけど、当事者の気分になったら悲惨だ。見ていられない。

 

だから僕は、基本的にゲームに課金はしない。課金することが前提に作られているとか、課金する人がいないとシステムが回らないとかいう人がいる。そんな人には「そんなら、そういうふうなゲームシステムを作った方が悪い」と思う。

 

なんだか、無料ビジネスというだけで騙されているような気がする時がある。良い商品を本当に試して欲しくて、気軽に見て欲しくて無料にしているだけではないのだ。あくまで金を落として欲しいだけ。そんなのは皆が知っている。

 

でもなんか、最近は無料ビジネスをやり過ぎな気がする。「無料でも使える、遊べる」ということをどこか免罪符にしているのではないだろうか。

うににににーーー。

勉強したいことが沢山ある。欲しい物、叶えたい物、生み出したいこと、沢山ある。でも、今のままじゃ叶えられない。

 

そういう時、「これを勉強すればどうかな?」、「こういう本、サイト、セミナーがあるよ」って紹介してくれる機能が欲しいな、って思う。もちろん現段階において全く未知数のことであれば答えにくいだろうが、大抵の事は他の人が通った道だろう。

 

であるならば、他の人が通った道を、その軌跡をどうにか記録しておけば「こうすれば、上手く行く可能性が高い」という手段を提供することができると思う。

 

その手段を提供するには、まあ相当なデータが必要なのでネットを使うのは不可欠だろう。AIを使うのが最も簡単だと思う。ただ、AIだけでは失敗した時に対処できないかもしれない。その万が一の可能性を拾うためにも、人間のサポートは不可欠だろう。これからの教師も、やはりこういったサポート役の役回りが多くなるはずだ。

夢を覚えてる?

夢を覚えてることって、ほとんど無いですよね。怖い夢とか、面白かった夢とかなら覚えていることがたまにあるんですけど、基本的には覚えていません。

 

なんか、逆に「夢を全て記憶する」みたいな機械があったら逆に面白いんじゃないかなって思いました。自分が考えていることの奔流、無茶苦茶さ、っていうのがよく分かると思います。普通に活用するとしたら、性格診断とか健康具合の診断とかになるのでしょうか。

 

それに、人によってはインスピレーションの種になるかもしれません。既存の物、人が論理性、整合性、メッセージ性を重視して作る作品と違って、極めてカオスですからね。カオスで、意味不明だからこそ、出てくるアイデアもあるかもしれません。

 

僕もたまに夢で出てきたアイデアを覚えておいて参考にすることがあるので、夢を録画する機械ってのはそれなりに需要があるんじゃないかなと思います。

全自動料理機

個人的に、全自動の料理機が欲しい。全自動の料理機を作るくらいなら、家政婦ロボットでいいだろと思われるかもしれないけれど。まあ、どっちでもいい。

 

とにかく、料理を作ってくれるロボット、機械が欲しい。安ければなお良い。サブスプリクション(定額制)型の飲食店を作るにあたっては、全自動の料理機があると作りやすいんじゃないかなと思う。調理時間のバラツキも少ないし、急な欠員などによって待たされる客も少なくなる。

 

気まぐれメニューなんて物があるが、そういう物を求めるなら、人間がしっかりと作ったレストランに行けばいいと思う。まあ、個人的にはご飯は「食べられれば何でもいい」と思っているので、安さと早さ重視の店がいい。

 

そうはいっても、さすがに栄養バランスとかをたまには気にするので、野菜も食べたくなる。まあ、野菜はサラダばかりだと味気ない。そんな時に、ちゃちゃっと調理してくれる機械が欲しい。今はAmazonの配達サービスで生鮮野菜を配達してくれるサービスもあるらしいので、そのサービスと組み合わせれば、自宅にいてスマホを弄っているだけで料理が食べられるかもしれない。

 

たまに金欠の時など、「卵ともやしとネギしかねえ……」とかいう時に「今ある材料で、こんな料理ができますよ!」と、クックパッドなど大量の料理データから調べて、提案してくれると最高だ。

 

好きなことをする

好きなことをするか、嫌なことをするか。どちらかを選べと言われたら、大体の人は好きなことを選ぶ。僕は以前までそう思っていました。

 

でも、最近色々と勉強したり、人の話を聞いてると、むしろ「嫌いなことをする 」方を選ぶ人の方が多いような気がします。

 

仕事なんて、好きなことなんてほとんど無いじゃないですか。大抵が面倒な雑務ばかりです。でも、そういう嫌なことばかりして、頑張っていた方が大人らしいと言われるんですよね。我慢ができるとか、皆と同じとか、常識的とか。

 

好きなことを好きなだけやれないのは、怖いからです。僕も最近気付きました。好きなことをトコトンやるっていうのは、すごく怖いんです。理由はよく分からないんですけど、好きなことをしていると、なぜか怖くなって、自分にブレーキを掛けたくなります。

 

好きなことをする=ワガママ、と思ってしまうのかもしれません。ワガママは、ダメなことだと思っちゃいますからね…。ただ、これからはそんなこと言ってられないな、って思いました。

 

どんなことが仕事になるか分からないし、どんなことが自分の人生に必要になるか分からない。そのためには、たくさんのことを行うべきだと思うんです。

 

沢山のことを行うということは、とても多くのエネルギーが必要になります。そのエネルギーとして、「好き」以上に強いエネルギーって無いと思うんですよね。

 

辛いことをするから認めてもらえるかもしれません。褒めてもらえるかもしれません。でも、そんな人生の先に何があるんでしょうか?100年の長過ぎる人生は、自分の感情にも向き合わないなら更に長く、辛く感じるハズです。

 

好きを叶えるために、好きなことをし続ける。そうすれば、もっと自分の感情のことが分かると思います。もっと自分のやりたいこと、好きなことに集中できるようになるはずです。そして、「物凄く好き」なことに集中している時って、苦労を苦労とは感じないとは思いませんか。

教える人に教える

最近思うんだけど、人に教えるのってすごい大変だよね。人に教えるスキルが高くないといけいし、教わる人よりもしっかり理解していないといけない。そして仕事などで教える場合、ノロノロと教えてはいけないので、手短に分かりやすく教えないといけない、というおまけ付きだ。

 

人に何かを教える人というのは、教わる人よりもその事についてよく知っている。その事についての興味関心、モチベーションが高いことも少なくない。もちろん例外はいくらでもあるだろうが、教えるという立場に立った以上、教えるからにはほどほどには頑張るだろう。

 

別の言い方をすれば、「意識が高い」。全くやる気のない生徒、教え子よりも教える教師側の方がやる気があるのである。ならば、そこにコミットしたビジネスというのもあると思う。

 

コーチングスキルやコンサルタントなどの仕事は腐るほどある。だが、行き渡っていないことがほとんどだ。特に教師や親、地方の会社など、ビジネスの先端から離れれば離れるほど、こういった指導を受ける機会は少ない。

 

どうせ教えるなら、うまく教えたい。もっと成果を出させたい。教える人間であれば、それは当然の欲求である。「教え方」のスキルも必要だろうが、教える側それぞれの勉強時間の短縮をするため、「(ビジネス以外の場所で)教える人専門の教師」というちょっとニッチを狙ってもいいと思う。

 

完全にAIが教育に携わるようになる前なら、まだ需要はあるはずである。いや、むしろ、AIが普及してからも「サポート役」としての人間は不可欠なので、より的確に教えられるようになる必要がある。今までなんとなく勉強して、なんとなく教えていれば良かったのが、つまずくポイントを教えられるように、しっかりと勉強しなければならないかもしれない。