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他人への理解

「どうして分かってくれないの!?」という人がいる。しかし、割とそういうものだ。特に日本人は他人に自分の気持ちを話さないので、「分かってもらえない」と思ってしまうことは比較的多いはずだ。

 

私は、他人のことは理解できる部分もあるが、理解できない部分もある。「何でも知っている」かのような大人でも知らないことは沢山ある。他人の気持ちなんて、もちろん全部分かっている訳ではないだろう。どれだけ人生経験を積んだところで、手足が無い人間や脳死状態の人間の気持ちを正確に理解することはできない。

 

「分かる」、「理解できる 」というのは端的に言って幻想だ。そう思い込んでいるに過ぎない。実際は分かっていない。たまたま相手から怒られないくらいに分かっているだけだ。何とか上手な反応ができているだけだ。

 

「相手のことが理解できない」と悩むことが私も沢山あった。というか未だに悩む時もある。だが、「そんなものだよね」と思えば、割と楽になる。「わかる」という前提ではなく、「わからない」という前提に立てばいいだけだ。そうすれば、ちょっと楽になる。

 

ストレスというのは結局のところ「落差」で起こるのであって、「わからない」という前提であれば、分からなくても落ち込むことにい。むしろ、分かった時が嬉しくなる。

 

最初からハードルをあげる必要なんかない。分からないのに分かったフリをしていると、分かってくれない人間のことを嫌に感じてしまう。 

 

だから、いわゆる社会的な常識のない人間や外国人は昔は嫌われていたんだと思う。理解できないから。ただ、今は多くの情報があり、多くの人が外国語を話せるようになったため、割と理解できるようになった。だから、比較的ストレスを感じなくなったのだと思う。まあ、結局理解できないことなんて沢山あるから、齟齬もいつまで経っても生まれるのだが。

 

まあ、仏教には人生一切皆苦という言葉があって、「人生は全部苦しい」という考えだ。今までの話から何となくピンと来たかもしれないが、これも落差を利用している考えだ。「苦しいのが当たり前」だ。苦しいのが当たり前だから、実際苦しくても、「なんでこんなに苦しいんだ」と悩まなくて済む。

 

これと同じように、「他人なんて理解できないよね」とでも初めから思っておけば、諦めておけば、ちょっとは楽になると思う。変に期待しない方がいい、ということだ。変に期待すると、他人に対して常に怒ったり押し付けたりするようになる。理解できないのが当たり前なのに、常識=「常に識(知)っておかなければならない」なんて苦痛でしかない。