社会の歯車

社会の歯車になりたがっている人が多すぎる。こんだけ多くの人が洗脳されているのを見ると、「学校ってすげえな」と改めてしみじみ思う。

 

常識というものは、彼らにとって金科玉条だ。常識のない奴は人間じゃないらしい。しかし、常識は何度も何度も崩れてきた。間違ってきた。なら、常識は絶対ではない。歴史の教科書を見るまでもない。ここ10年で何度も変わってきた。

 

だからこそ、「常識」という物をしっかり可視化させるべきだろう。何が常識、ルールとして存在しているの、文章にするべきだ。常識はあくまで常識。脅迫の言葉でもなければ、人を縛り上げる鎖でもない。

 

常識を可視化することで、「この常識って間違っているかも?」と、常識を議論のまな板に上げることができる。見えなければ、話し合うことすらできない。身体に勝手に浸透してしまうのだ。

 

常識を疑えとよく言われるが、そんなことは疲れる。常識を普通に、フラットに考える機会を作ればいいだけだ。そうすれば、誰にも触ることのできない金科玉条ではなくなる。必要がないなら、消すこともできる「ただの思い込み」であることが分かるはずだ。