観光地に行ってがっかりすること

旅行がけっこう好きなので、たまに旅行をするけども、やっぱり京都はすげえなと思う。ほんとに、生きてる。観光地としての魅力というより、「歴史としての京都」が生きてると思う。文化を見せるために残している訳でない。

 

ただ、他の場所に行くとそうでもない。「ああ、なんか買わせるためなんだな」って思ってしまうような仕組みが多い。ある意味おもてなしなのかもしれないが、こっちもこっちで、観光気分を味わわなきゃいけない気がしてしまう。緊張するというか、身構えるというか。

 

個人的にはもっと、楽な気持ちでいたい。こっちが旅人で、よそ者なんだから、少々窮屈なくらいが丁度いいのかもしれない。旅人のことを考え過ぎて現地人が窮屈になっては、元も子もない

 

 

やれることは一つじゃない

星野源のようなマルチタレントを見ると、これからの時代を象徴するなぁ、と思った。

 

一つのことに囚われる必要なんて無いんだなって思った。うん。「何が一番大切か」なんて、考えるだけでめんどくさい。どれも大切だ。厳密にはどれが一番強い感情の起伏を起こすか、というのは判別できるだろう。でも、他の事象を「一番じゃないから要らない」というのも違う。

 

一番じゃなくても、普通にやりたいことは沢山ある。小説だってゲームだってカラオケだって、一番の物以外を沢山読んで、遊んで歌うだろう。それができるなら、それでいいんじゃないだろうか。

 

わざわざ「一つに絞る」必要もないだろう。星野源も言う通り、相当に中途半端にやるなら問題だが…(笑)

 

人間同士の仕事、感性、スキルが上下の差ではなく横並びになっていくように、一人一人の好みややりたいことについても、序列を付ける必要は無くなってくるだろう

全ての子供から家を奪う

結婚制度の話になったので、ここで一つ提案を考えてみた。結婚したい訳でも、子供が欲しいわけでもないけど、でもなんとなく子供を作っておいた方が良い気がする、という人向けに「子供を育て上げる」サービスを作ったらどうかなと思いました。

これからどんどん少子化は進むと思うが、それは単純に子供を「個人で」育てるのが大変だから。もともと子供は地域のコミュティや村レベルのコミュニティ全体で育ててきた。一つの家族だけで無理に育てるより、現在の児童養護施設みたいな感じで子供を寄せ集めて育てたらどうかなと思った。

「効率」だけ考えたらこちらの方がはるかに良いに決まっている。なぜなら子供の育て方はプロの方が分かっているからだ。親というのはめちゃくちゃ頑張って産んだにしても10人くらいを育てるのが限度だろうが、プロには上限なんてない。ずっとその仕事を続ければ千人だって可能だろう。

さらに英才教育的なものを全ての子供に受けさせることが可能だ。記憶力を高めたり、思考力を鍛えたり、良い習慣を鍛えるのも、施設で一括して受けさせた方が簡単だ。親の自助努力だけでは、お金がない家庭は英才教育を受けられない。

軍隊教育的だと思われるかもしれないが、ハード面だけの問題で言えばこちらの方法が子どものために望ましいはずである。問題はソフト面だ。子供は実の親と一緒に暮らしたいと思っているかもしれないし、親と会えなくて鬱になることなどが起こる可能性は0ではない。あとは親の方も問題だろうか。寂しすぎるとか。

 

倫理的には、簡単にこんな制度は作れないだろう。だが、「子供のため」と言いながら大人のエゴと思考停止をを押し付けるような大人からは切り離していい教育や豊かな経験を積ませた方が良いとは思うのだが。

 

まあ、日本は義務教育の国だから大体の子供は同年代の子供と一緒に生活する。ただ、家に帰るという時間がある。プライベートがある。そのプライベートの部分で差が付かないように、学校の部分を少し広げてみては?っていうだけの話なんですけどね。

 

モンスターペアレントの問題なんかも簡単に解決すると思うのだが。「文句言うなら自力で育ててみろ」なんて言われる時代が来るのかもしれない。

対話する能力

宇宙人と対話する映画を観たのですが、なかなか難しいなぁと思いました。まあ、現代の科学力を使えば結果的に対話することができたんですけどね。。。

 

現代の科学ってすげえなぁと改めて思いました。色々なパターンを分析して、「未知」を無くしていくことができる。それがどれほど難解だろうと、です。

 

人間にとって不可能なことは、もしかしたらほとんど無くなっているのかもしれません(笑)

未来を生きるということ

見えないよねー、、未来。いつでも、不安になってしまいます。こんなんでいいのかな?って。この道で合っているのかな、って。

 

でも、よく考えたら「分かるわけがない」んですよね。あと20年もしたらAIで潜在意識が「自分が心底求めていること」が分かるようになるらしいですが、それでも未来は分からないと思います。

 

好きなことをやったって、正しいことをやったって、それが絶対にうまく行く訳ではないんです。本当に求めていることが分かっても、きっと人間はすぐに「それ以上」を求めてしまうはずです。

 

これからどうなるのか。不安かもしれません。でも、「分からないことが当たり前」と割り切れば、逆に吹っ切れます。

怠け者を愛してくれ

これからの時代って、怠け者でも生きていけるようになると思うんですよね。というか、怠け者とは思っていない人でも、怠け者と同じ扱いになってしまうというか。

 

ものすごく真面目に仕事に取り組んだところで、ロボットに勝てないんですよね。頭を使って頑張らないと。ロボットに勝つような物を見つける為にはトライ&エラーが必要で、沢山の失敗が必要なんです。

 

だから、一直線に夢だけを追い求める熱血バカや真面目なだけが取り柄の人間は、怠け者と同等になってしまいます。

 

ただ、そんな人間は野垂れ死んでいいのか?っていうことなりますよね。トライ&エラーを繰り返す人間も、多くの失敗が必要なので、失敗した時の安全ネットが必要です。そういう時のための社会保障ベーシックインカムが必要だなと思います。

 

これからの時代、「普通」の人間が簡単に職にありつける訳ではなくなりますから(笑)普通の人間が職に就けなくても生きていけるよう、ベーシックインカムは必要だと思いますね。

教養塾

まあ、塾ですね。教養全般を勉強するための塾です。

学校で習う知識って、基礎知識としては確かに必要であったりはしますが、実は役に立たないことも少なくありません。

学校で習わないことで、必要なことも世の中には沢山あります。そんな訳で、そういう「社会に必要なこと」を網羅的に、本質的な部分を学べる場所があったらなぁと思って教養塾というのを考えてみました。

 

まあ、哲学やら心理学、統計学からプログラミングに地理歴史、健康の知識や金融などでしょうか。これらを学習するにしても、学校の教え方とは違い、「役に立つ」こと、「頭に入りやすいこと」に重きを置いた方がいいかなとは思いますね。