時間の問題

よく分からないけど、どうしてこんなに沢山の時間を掛けて人間同士仲良くしようとするのだろうか。たまによく分からなくなる。

 

僕は結構色々な転々としているので、「わざわざそこに留まらなくてもいい」とよく思う。嫌なら離れればいいと思う。どんなに好きな人、素晴らしい人でも嫌な面くらいある。当たり前だ。

 

その面倒臭さに耐えきれないなら、その場所から離れればいい。そっと離れればいい。わざわざ自分の気持ちを殺して、自分を責めたり他人を責めたりする必要なんてない。普通に諦めてしまえばいい。自分が自分のことをきちんと認めてさえいれば、どんなことをしても肯定できる。

 

他人の言うことに惑わされるな、と僕は僕自身に対しても、いつも戒めている。

他人への理解

「どうして分かってくれないの!?」という人がいる。しかし、割とそういうものだ。特に日本人は他人に自分の気持ちを話さないので、「分かってもらえない」と思ってしまうことは比較的多いはずだ。

 

私は、他人のことは理解できる部分もあるが、理解できない部分もある。「何でも知っている」かのような大人でも知らないことは沢山ある。他人の気持ちなんて、もちろん全部分かっている訳ではないだろう。どれだけ人生経験を積んだところで、手足が無い人間や脳死状態の人間の気持ちを正確に理解することはできない。

 

「分かる」、「理解できる 」というのは端的に言って幻想だ。そう思い込んでいるに過ぎない。実際は分かっていない。たまたま相手から怒られないくらいに分かっているだけだ。何とか上手な反応ができているだけだ。

 

「相手のことが理解できない」と悩むことが私も沢山あった。というか未だに悩む時もある。だが、「そんなものだよね」と思えば、割と楽になる。「わかる」という前提ではなく、「わからない」という前提に立てばいいだけだ。そうすれば、ちょっと楽になる。

 

ストレスというのは結局のところ「落差」で起こるのであって、「わからない」という前提であれば、分からなくても落ち込むことにい。むしろ、分かった時が嬉しくなる。

 

最初からハードルをあげる必要なんかない。分からないのに分かったフリをしていると、分かってくれない人間のことを嫌に感じてしまう。 

 

だから、いわゆる社会的な常識のない人間や外国人は昔は嫌われていたんだと思う。理解できないから。ただ、今は多くの情報があり、多くの人が外国語を話せるようになったため、割と理解できるようになった。だから、比較的ストレスを感じなくなったのだと思う。まあ、結局理解できないことなんて沢山あるから、齟齬もいつまで経っても生まれるのだが。

 

まあ、仏教には人生一切皆苦という言葉があって、「人生は全部苦しい」という考えだ。今までの話から何となくピンと来たかもしれないが、これも落差を利用している考えだ。「苦しいのが当たり前」だ。苦しいのが当たり前だから、実際苦しくても、「なんでこんなに苦しいんだ」と悩まなくて済む。

 

これと同じように、「他人なんて理解できないよね」とでも初めから思っておけば、諦めておけば、ちょっとは楽になると思う。変に期待しない方がいい、ということだ。変に期待すると、他人に対して常に怒ったり押し付けたりするようになる。理解できないのが当たり前なのに、常識=「常に識(知)っておかなければならない」なんて苦痛でしかない。

住民票は要らない

最近思うのだが、住民票は要らないよ。住民票の代わりに何を使うのか?マイナンバーだ。ただ、せっかくマイナンバー制度ができたのに、今はほとんど意味がない。残念過ぎる。

 

マイナンバーがあれば、あなたという住民いや国民が「何者であるか」が確認できる。そうすれば、わざわざ他の身分証を持ち歩く必要もない。というかスマホマイナンバーカードのアプリでも入れておけばいい。

 

特に私は最近色々な場所を転々としているので、その度に住民票を移す訳にもいかない。めんどくさい。しかし、住民票が無いことで面倒なことになることも沢山ある。

 

こんな面倒な制度を残して公務員の手間を増やすくらいならサッサと手続き全般を電子化できるようにマイナンバーに住民票的な権利を全部入れればいい。年金番号や免許なども入れればいい。今のままでは、どう考えても面倒なだけだ。

 

さらに願わくば、クレジットカード的な機能もマイナンバーカードに紐付けて欲しいものだ。

教養とか、常識とか

教養ってのは、まああった方が良いとは思う。ぶっちゃけ欲しいとは思う、僕も。でもそれは「教養の無いやつはバカ」という訳ではないと思う。教養の無いやつはバカ、と言ってバカにするのは良くないと思います。

 

教養のあるなしは関係なく、子供でも分かる話。人の嫌がることはしないようにしましょう、ということ。物凄く偉い人とか、頭が良い人が「こういう小説を読んでない、こういう経験をしていない」とか言っているのを見ると、「頭の無駄遣いだな」とか思ってしまう。人と比べて、人より優れていることを喜んでいる。それって、すごくつまらないと思います。

 

そんな下らないことを、他人と比べることだけを一生懸命頑張るより、自分の好きなことや他人のためになることを楽しくやった方がいいんじゃないかなと思うんですけどね。窮屈で、つまらなくて、他人も傷付けて、なんにもならないと思うんですけどね。もっと楽しく生きればいいのに、と思います。

 

 

常に歩き続ける者

うーん、ちょっとよく分からないけど、常に歩き続けることが大事なんだなって。理由は分からないけど、常に。

 

止まったら、そこで終わってしまう。自分が歩くのを止めたとしても、世界は進み続ける。どうしようもない速さで。どうすればいいのだろう。どういう風に、頑張ればいいのだろう。

飲み会で飲め、という人

私は全くお酒が飲めない。だから、「飲め」という人は大嫌いだ。「飲めない」と言っても耳を貸さない人も少なくないので、その場から無言で立ち去ったことが何度もある。

 

ふざけるな、と思う。人の命をなんだと思っているのだろうか。よく分からない社会のルールがそんなに大事なのだろうか。

 

 そういう人は妊婦や病気で入院している人にも「飲め」と言うのだろうか。あくまで社会のルールに従っているだけなので、恐らくほとんどの人は言わないだろうけれど。人の立場に、特に異端の立場に立って考えられないのだろう。

 

もう少しよく考えれば、すぐに分かると思う。ちなみにこの能力はストレングス・ファインダーという性格分析で「個別化」という能力だ。特にマネジメントをする人間には必須だと言われている。